石に触れて、しばらくあたりを散策してから、大ヒットした映画『ロード・オブ・ザ・リング』(原題:The Lord of the Rings: The Fellowship of the Ring)の原作『指輪物語』を執筆したイギリスのJ・R・R・トールキンは、エイブベリーの木の下でよく物語を書いたそうです。
その木があるというので、見に行くことにしました。
木からは、木の根が地上にも浮き上がっている木からは、魔力のようなエネルギーを感じることができました。
このような場所だからこそ、『ロード・オブ・ザ・リング』の物語が生まれたのだなと納得することができるようなエネルギーを感じ、しばらく木のそばでたたずんでいました。
『ロード・オブ・ザ・リング』の映画を見て、多くの場面で、感銘するところがありました。指輪を身につけると、すさまじい力を手に入れることができるので、多くの勢力が指輪を狙っており、指輪が悪の勢力に渡ってしまうことへの危険性から、指輪を破壊する必要があること、その使命を引き受けたホビットであるフロドのストーリーはファンタジー映画とは思えないほど、たくさんのことを考えさせられました。
映画を見た当初は指輪が「ある特別なスピリチュアルな力」だと解釈していました。
しかし、それから何年か経ってから、映画をまた思い出した時、指輪はスピリチュアルな力や能力のことを話しているのではなく、「私自身」であると感じるようになりました。
フロドは騎士や武士のように戦うことはできず、特別な魔力を持っているわけではないのですが、何よりも純粋な心がありました。
指輪を破棄する任務には危険がつきまとっていたのですが、一番乗り越える必要があったことは、自分自身の誘惑に負けてしまわないことでした。
私たちにつきまとう危険は、何かが私たちの才能や能力を奪うことではなく、私たちの本質を乗っ取ろうとしたり、奪おうとしたりすることを、私たち自身が許すことであると思います。
何も、何者も、私たちの許可なくして、私たちを乗っ取ることはできません。
しかし、私たちの中に何か揺れるものがある時、自信を無くしてしまっている時、私たち自身を他の誰かにゆだねてしまう時があります。
このような時に、危険な要素が入り込んでしまいます。特に、大きな使命を持って生まれて来た女性は数々の試練を必ず経験することになります。
こんな時に、どれだけ自分の価値を知り、任務を遂行することができるかは、私たち自身にかかっています。
この教訓を思い出す時に、同時に思い出すのが、エイブベリーの木でした。