お寺の神像の声を聴く
コパン僧院にも、お寺がありました。
案内の人に、お寺が閉まる前にまずはお寺に行ったほうが良いという話を聞いて、お寺の中にはいります。
中に入ると、中央に大きな仏像があり、左の方には小さな仏像や神像が置かれています。
その中の、一つの小さな神像に惹かれました。
小さいけれども、仏教の慈愛の心を体現したような姿にしばし見とれます。
私はお寺を訪れることが好きです。
すべてのお寺ではなくて、その地域で特別なお寺を訪れるのが好きです。
お寺を訪れて、そこにある神像を眺めたり、ろうそくの火を見たり、しばらく座って瞑想したり、お祈りすることが特に好きです。
私はアーティストですが、彫刻家ではないので、毎回お寺にある見事な神像をみるとため息がでます。
「こんな素晴らしい像を作れるなんて、すごい才能!」と思います。
どれほど難しいか、根気の要る仕事かを想像してみます。しかし、このような崇拝のための像を作った人が有名になるということはまずないでしょう。
献身的な行為から生まれた神さまをかたどる像は、たくさんの人に神さまとの通路をつくってくれます。
神像の前に立って見つめていると、その神像が私に話しかけてくる言葉が聞こえてくる時があります。
そこで、私は何かアドバイスが必要なときに、好きなお寺の神像の前に座って、心の中で話しかけたりします。
必ずと行っていいほど、その神像の神さまは答えとヒーリングを与えてくれます。
あるアシュラムに通っていた時、大好きなガネーシャという象の頭をしたヒンドゥー教の神さまの像がありました。
その頃、その像の前でよく瞑想とお祈りをしに行きました。
何か質問をすると、ふとした時に答えが返ってくるのが感じられました。
ある時は言葉で、ある時はエネルギーで、何かが伝わってきて、涙が出る時もありました。
そのメッセージの声は、もしかしたら私の想像なのではないか、と思われるような小さな声なのですが、私の中で何が真実かを知っている部分が、その声を聴くと正しいことを認識することができるようなメッセージです。
悲しい時、困った時、ガイドが欲しい時などは、このようにして神さまと直接交信するトレーニングをしてきました。
何か困った時には、友人や先生などに相談したいところですが、いつしか私はスピリットの世界と直接繋がって導きをもらうことを最優先するようになりました。
時間がある時はお寺に行くこともありますし、そうでなかったらお部屋でろうそくを灯して瞑想したり、お祈りをしたり、神さまや天使に手紙を書くときもあります。
そうすると、不思議と答えがふとした時に訪れたり、祈りへの応えが届けられたりします。