インドでのサダナ (Sadhana)について
サドナ(sadhana)とは、特に宗教や音楽において、規範的で献身的な練習や学習を意味するサンスクリット語の言葉です。
ヨガなどを習い始め、インドの文化に少し深く触れだすと、よく耳にするようになる言葉です。
インドのクラシック音楽は、子供の頃から一日に何時間も毎日練習してからやっと歌えるようになる音楽の分野ですので、成人であり、また外国人である私が学ぶということは、大変チャレンジングなことであります。
また、「うまくなる」という保証はどこにもありません。
正直、インドのクラシック音楽の中で、特にヴォーカルをうまく歌っている外国人は見たことがありません。
少したしなむ程度なら、見たことがあります。
ということで、毎日かなりの時間を費やして難しい音楽を習得しようと修練している毎日ですが、その努力が報われるという保証はありません。
練習をしている時によく、サドナ(sadhana)という言葉を想い出します。
結果を気にせずに、スピリチュアルな修練をすることです。
何よりも毎日の練習を続ける糧となっているのは、インドのクラシック音楽が好きということであり、そして、わたしがこの音楽を体得することができたとしたら、どれだけ多くの人々の心にヒーリングをもたらすことができるかということを想像することです。
自分だけのためだと、私はあまり頑張れないたちなので、このようなことを想像すると、力がでてきます。
色々なことがある中で、インドに長期滞在して音楽を学ぶことができる環境を得られたということも、何かより大きな力が導いて、守ってくれているからという気がします。このように思うことで、日々の練習も精進して行うことができるようになります。
師匠に進歩が認められないと言われる時でさえも、どうにか頑張ることができるようになります。
ヒーリングをしていると、また、サドナ(sadhana)という言葉をよく想い出します。
人は色々な悩みを抱えて生きているものですが、ヒーラーができることは、あるきっかけを作ってあげることだと思っています。
あとのヒーリングは、本人の意志と力にかかっていると思っています。
あまり人に未来を伝えるような占いはしたくないと思っているのは、このサドナ(sadhana)という言葉と関わっています。
これまでに未来を占うような占いを受けたことがとても若い頃に一度あります。
その言葉は途中までは合っていましたが、ある時私の未来はその占いの予言を超えるものに塗り替えられるようになりました。また、望まない時に、昔のパートナーがある人に伝えられた予言を聞いたことがあります。
予言のメッセージというものは、いい意味でも、良くない意味でも、その人に大きな影響を与えます。
この時に、よく映画「マトリックス」の預言者の女の人に会いに行く場面を想い出します。
主人公のネオは、絶対に正しい予言をするという預言者の女の人に、自分が使命を達成することができるかどうか尋ねにいきます。
ある言葉をもらうのですが、ネオはその言葉をもらいつつ、反対の行動をとります。
そして、未来は予言に反したものに変化していきます。
この場面は、常に、誰に何を言われても、最も重要な関係は自分の中にある神(ディバイン・セルフ)と自分の関係性であるということを思い出させます。
私の人生において、たくさんの人が助けてくれて、ヒーリングを行ってくれましたが、最も人生の飛躍が訪れた時は、自分の力を信じて進んだ時でした。時には、親友や家族、パートナーの意見と異なる行動をとる必要がある時もありました。
人生の様々なことは神秘に満ちています。
私達には無限の可能性が秘められており、それぞれに必要なエネルギーと光、愛情が与えられています。
この要素を手に、どのように人生を生きるかは私達自身にかかっています。
テレビのコマーシャルやドラマなどでは幸せが簡単に手に入るようなメッセージが目立ちますが、真の幸福とは実はそんなに簡単ではないと思います。
そのためにサドナ(sadhana)が必要になります。
どんな聖人も瞑想をせずに悟りをひらいた人はいないと言われています。
サドナの原理を理解し、そしてプラクティスすることで、確実に魂の成長は訪れます。すると、不思議と自らを囲む周りの環境も変化していきます。
そのことを理解しつつ、インドで修練をする毎日が続いています。