クリシュナとラーダのお話はかなりたくさんあります。
単純な話のようですが、かなり奥が深いので、一つずつご紹介していくことにします。
今回はラーサリーラを紹介したいと思います。
私の部屋にも飾ってあるこの不思議な絵は、ラーサリーラの情景を描いたものです。
この絵には深い哲学が隠されています。
ある夜、クリシュナとラーダ、そして数千のゴピたち- クリシュナを崇拝する牛飼いの女性たちはクリシュナのフルートの音を聞きながら一晩至福の踊りを踊る時間を過ごします。
私は、数々あるこの絵の解釈の中でも、オショーの解釈が好きです。
インドのスピリチュアル・グル(師)であるオショーは次のように話しました。
ラーサリーラ、お祝いのダンスを理解するために、最初に知る必要があることは、人生の全体が矛盾する力の集まりであるということ、そしてすべての幸福は相反するエネルギーの融合から来ることです。人生の謎とエクスタシーはこの融合の神秘に隠されています。
宇宙のあちこちで起こっていることはすべてダンス、セレブレーション(お祝い)、喜びです。
反対のエネルギーの集まりは、宇宙のすべての創造の礎石です。
あらゆるレベルの生活における創造の遊びの全体は、エネルギーが2つの反対の部分に分割されたときに始まります。
ラーサ、お祝いの踊りは、創造の力強い流れの最も深い属性です。
反対者が互いに衝突するとき、それは対立、敵意および戦争をもたらします。そして、彼らがお互いを受け入れるとき、愛と友情が生まれます。両者の出会いがなければ、創造は不可能です。
クリシュナがゴピ達と一緒に踊るこの場面は、永遠から続く、普遍的な創造の踊りを表しています。
クリシュナはここで、創造における男性的要素の全体を代表する存在を象徴しています。
同様に、ゴピ達は全体の女性的要素を象徴しています。
このダンスは男性と女性のエネルギーのダンスであり、巨大な宇宙のダンスを表しています。
この絵ではクリシュナが、同時にたくさんのゴピたちと同時に踊っている様子が見えます。これは、神の遍在性(Omnipresent)を象徴しています。ゴピ達の誰もがクリシュナと一緒に踊っていると信じています。
これは私たちに、神さまはお寺や聖地だけにいるのではなく、いつも私たちと一緒にいるのだということを思い出させてくれます。私たちが息をするこの空気よりも神さまは近いところに私たちと一緒にいるのです。
私たちが感じさえすれば、そのエネルギーは私たちを暖かく包み込んでくれ、強力な力を与えてくれます。
男女のエネルギーの踊り、ラーサ リーラ
宇宙の中の反対極の存在はエネルギーの流れを促進します。
同じエネルギーは流れを生み出しません。
陰のエネルギーは陽のエネルギーの方に流れ、陽のエネルギーは陰のエネルギーの方に流れ、融合していきます。
お互いに異なる性質があること、その要素が流れを生み出します。人間には両性があるので、男性は女性に惹かれ、女性は男性に惹かれます。
男性は女性がいないと閉塞感を感じ、女性といるとリラックスして高揚感や安心感を感じます。
一人でいると、一般的に私たちは緊張と不安を感じやすくなります。
一緒にいると安心して、軽く感じ、時には至福の幸福感にも包まれます。
世界は愛を禁じると行き詰まってしまいます。
クリシュナを崇拝するヒンドゥー教の教えでは、物質的な世界における人間のロマンチックな愛は、精神的な世界における神、クリシュナに対する恍惚とした精神的な愛の単なる減少した形の、幻想的な反映として見られています。
ラサ リーラにおいて、男女の踊りは肉体的、性的な踊りではなく、純粋な男性エネルギーと女性エネルギーの踊りだとされています。
そこではシステムがない、秩序がない混沌、エネルギーの相互作用だけが残ります。 この相互作用において、クリシュナとゴピたちは個人であることをやめ、純粋なエネルギーとして動きます。そして、男性と女性のエネルギーのこのダンスは深い満足感と至福をもたらします。