インドの音楽とシオフラ
アーティストでもある私は、作品などでよく踊ってきましたが、2016年からは音の絶大な治癒要素に着目し、歌を歌い出すことになりしました。
以来インドの伝統音楽におけるラーガとマントラに関して直接師匠に師事し、学び歌う修練を繰り返しています。
ラーガとは何百にも及ぶメロディーのパターンのことで、あるラーガの曲を聞くと病気が治ったりするというヒーリングの効果が科学的にも証明されている音楽です。
マントラとは真言(しんごん)、神呪文秘的な威力をもつ言葉として訳される言葉で、主にはヒンズー教や仏教で神の名前やサンスクリット語で伝わるお祈りの言葉を何回も続けて唱えることです。マントラを何度も唱えることで病気を治したり、困難な状況を打開することができると信じられています。
私は現在、ラーガを学び、近い将来録音する計画のもと、日々修行に励んでいます。
インド音楽との出会いは、とても偶発的なものでした。
今から数年前の博士論文を執筆していたある日、いつも聞いている曲に飽き始めたので、新しいスピリチュアルな音楽を探すために、サウンドトゥルー (Sound True) というアメリカのスピリチュアルな音楽をプロデュースしている会社のウェブサイトをリサーチすることにしました。ミュージシャンの曲を試聴している時に、不思議なメロディーが聞こえてきました。
ドイツのマントラ・シンガーであるデーバ・プレマール (Deva Premal)の音楽でした。アメリカのマントラ・シンガーであるスナタム・カウアー (Snatam Kaur) の曲にも惹かれましたが、何度聞いても飽きずに、聞くたびに心が澄んで行くような気がする音楽はデーバ・プレマールのものでした。
サンスクリット語のマントラを繰り返し歌っているので、何を言っているのかわからないところも論文執筆のバックミュージックとしては効果的でした。
私は14歳の頃から繰り返し金縛りに遭ってきました。
ひどい時には週に2〜3回もかかるので、寝不足になるほどでした。
一時はおさまったり、また始まったりを繰り返しながら、成人のかなりいい年になるまで金縛りに遭い続けていました。
たくさんの人に相談しましたが、これと言った解決策もなく、実家に住んでいた頃は金縛りに遭うと夜中に母のベッドに潜り込んだものです。
母と一緒に寝ていたチワワが起こされて自分の寝床を取られたので不機嫌そうにため息をついて、それでも二人と一匹で一つのベッドに雑魚寝をしました。
一人で暮らすようになった後も金縛りは続きました。
26歳の時に初めてフィリピンのシャーマンに出会い、あなたはシャーマンだと伝えられてからは少しずつスピリチュアルな訓練をし始めたので、少しは解きやすくなりましたが、どうしても金縛りに遭ってしまう時がありました。
そのようなある日、チベットの僧侶と一緒にマントラを唱えるデーバ・プレマールのアルバムを大音量でかけて眠ると金縛りにかからずにぐっすりと眠れることに気づきました。初めは聞いていただけのマントラでしたが、ある日、無性に一緒に歌ってみたくなりましいた。
そこで、デーバ・プレマールとパートナーのミッテンのウェブサイトから、サンスクリットの歌詞と英語の翻訳が書いてあるページを印刷して、たどたどしいながら一緒に歌ってみました。
不思議な響きのサンスクリット語のマントラを一緒に唱えると、不思議に心が落ち着き、浄化されていくように感じました。
それから、少しずつ習得して、覚えて歌えるようにしようと一つずつ学んでいきました。
マントラを歌い始めてから1ヶ月もたたないうちに、人生に劇的な変化が訪れました。
スピリチュアルな聖地を訪れた時、不思議なことが次々と起こり始め、それまでに計画していた人生の計画を崩して、勇気を出して自分の本心に向き合う必要性にせまられました。
それは、とても勇気のいることだったのですが、本心に気付かされる不思議な体験をした後では、これ以上自分に嘘をつき続けることもできず、また、周りの人が望む私の人生を生きる演技をし続けることがどうしてもできなくなりました。
それから、変化が本格的に始まり、外から見たら幸せに見えた人生ががらがらと崩れ始め、自分自身の力でまた建て直す必要があるという試練の時を迎えるようになりました。
色んな試練がありましたが、その間中、私を支えてくれたのはマントラの音楽の音色でした。
そのマントラの音楽が数年後私をインドへ案内し、それからまた数年後、より深いプラクティスであるインドのクラシック音楽へと導いてくれました。
人生とは、謎解きの旅のような気がする時があります。
目的地は見えないけれど、より本来の自分になるために、その時その時に神さまから与えられたヒントや鍵を手に、少しずつ進んでいくと、ある時に新しい人に出会ったり、ある時にずっと持っていた手持ちの鍵でドアを開くことができることに気づいたり、試練を経験して信念を試されたりしながらも、自分自身の力を信じて光に向かって進み続けることです。